apriori_37g

言葉が好き

もうあの歌が聴けなくなった。私の無実を証明する東海道線午前11時、目を閉じてずっと聴いてたロック・バンドの叫び声は、私の暴れる心臓と同期して動悸、すごいことになった。音楽が私のものになるということをあの日はじめて知った。私の愛すべき栗色の髪はあんたら馬鹿どもの世界じゃ異常らしい。くだらねぇ、百済ねぇ百済観音の助けもねぇ私の人生は人間様に殺されそう!私はお医者様に助けを求めた。百済観音は東京の高層ビルにいた。そこに着くまでの1時間、JR東海道線の5両目、動悸を連れてずっと目を閉じてた。ずっとロック・バンドの叫びを聴いては私にも叫ばせろ、怒鳴らせろ、ヤらせろと思ってた。
東京着いて、大きな百済観音の元へやってきた。百済観音は「平成にもなって、害悪が沢山いますね」と仰った。
お墨付きの診断書貰って笑顔になって、二千円もする和食定食食って帰ってきた。まー百済ねぇですね。当たり前だと思うな。私を弱者にたらしめたのは百済ねぇ命授かってつまんねぇ価値観で毎日ゲロ吐いてるテメェらだよ。冷めた目して仕事してんじゃねぇよ。これで私の栗色の髪は地毛だと証明されたわけですが、だからなんだよ。土下座しろ。私が簡単に許すと思うなよ。お前が私を見るたびにごめんなさいって思って欲しいから、私絶対お前から離れない。ずっと隣にいてやるよ。なんでもしてやる。地獄まで着いてってやるよ。東海道線快速で地の地まで追っかける。お前が御免なさいって言ったら、まだまだですって頭ぶん殴ってやる。アホみたく笑って待ってろ

ボツ

今日も孤独に勝てない。
深夜一時十七分。本を捲っても何も頭に入ってこない。猫を撫でてもこちらを見ない。スマートフォンは明る過ぎる。
独りきりだということが何なのであろうか。
中国の万里の長城を思う。あの大きな城だって何年も孤独だったはずだ。
私は孤独に勝てない。
あの子だって孤独だと知っている。あの子だって血を流したと知っている。それでも私だけが底に落ちた気がする。
独りきりだということが何なのであろうか。他界した父を思う。あの人は永遠の孤独を手にしたのだ。
いつまでも孤独に勝てない。
貴方と繋ぐ手を離した交差点。友人たちと笑い合った後のシャワー。空を切るような海を眺めた時の肌寒さ。
独りきりだということが何なのであろうか。
私には愛する人がいるし、愛してくれる人もいる。私は幸せなはずだ。
古代ローマを思う。深海魚を思う。キリストを思う。高速道路を思う。
今にもみな孤独だと知っている。誰かが泣いていると知っている。誰かがテレビを消したと知っている。誰かが皿を割ったと知っている。誰かが死んでいると知っている。
私の幸福論は未だ完成しない。
三大幸福論を読んでも私はわからない。私の幸福論はラッセルなんかにわかるわけがない。
椎名林檎の歌う幸福論なんか少しも信じていない。私の幸福論は三分五十四秒で歌い切れる訳ない。

(ボツです。)

最近日本が止まっている気がする

悲しいニュースばかり見る。それもありえないニュースばかり。

誰にも守られないアイドル、学校すら敵になる子供、法にも救われない女性、沢山悲しいニュースを見ては、「未だ私たち人間は道徳的で公正な判断ができないのか」と思う。

小さい頃は、日本が本当に素敵な国だと思っていた。大人を信じていたし、警察はかっこいいと思っていたし、むしろ早く大人になって仕事がしたいと思っていた。
でも今はそんなこと全く思わない。人間一人救わないまま時が進んでいるのが怖い。誰かが泣いたまま日本という国だけが発展していくのが怖い。
そしていつか、自分がそうなるかもしれない。いつか私が国に、社会に、法に、大人に見捨てられるかもしれない。もう見捨てられているかもしれない。

スマートフォンなんてかっこよく見えなくなった。どんなに素敵な夢をプロジェクションマッピングで映し出したって何も楽しく無い。美しく無い国に作られた虚構や電子は何一つとして美しく無いです。
自分が描いた絵が荒んで見える。恋人の顔が怖く見える。バラエティで笑えなくなる。親の態度が気に入らなくなる。

日本はいつからこうなったんですか。私が日本を愛していたあの幼少期から、もう日本は間違えていたのか。よく見えるようになっただけか。
お化粧がつまらなくなった。どんなに私が綺麗になっても日本は汚い。
掃除ももっと嫌いになった。部屋が汚くたってどうでもいい。

どうしたんだろう。私が感傷的になっているだけなのかもしれないけれど、報道されてるニュースは事実だし、今日も誰かが泣いているのは事実だし、明日誰かが殺されるのも事実だから。やっぱり私は生きることに耐えられない。自分に関係がないからってあまり知らんぷりできません。死んだほうがマシだと、安っぽい言葉しか出ないけれど、本当に死んだほうがマシなんだろう。

日本に希望を感じません。日本に時の流れを感じません。日本の好きなところは思いつきません。

創造の後頭部

先生が黒板消したべた。明日は遠足で、母は病院だった。わたしが何時も食べるスーパカップに日が差して午前10時、お布団の中で目が覚めました。今日もあの子のことがわからない。いつもなんで白の靴下を履いて学校へ向かうんだろう。私は毎朝ラジオ体操してるってのに、妹はきょうも金魚をながめてます。もっと大好きなのはこのネックレス!おばあちゃんがくれたけど、おばあちゃんの事しりません。富士山が今日も私を笑っている!頭がおかしい私をみんなが笑っている!それを見て私も毎日わらってます。大人になったら、もし大人になったら…机の上には今日もお弁当がない。学校に私の居場所はあります。でもいつも花瓶が置かれていて、椅子は窓ガラス割ってどっかに飛んでった。いつからか私はみんなが見えなくなった。鏡を見ても、わたしは写らなくなった。いつからだろう、カレーライスがいなくなったのはいつ?すきなひとが半田ごて使う横顔が大好きだったけど、今はもう地球に住んでいないらしい。走ってもゴールテープは燃えた。教室のチャイムが鳴ると同時に、みんなは私から目を逸らした。私は今日も晴れです!プールにはたくさんリンゴが浮いている。いつも、いつも私は私と私の歌を歌って、私を励ますけど、どうでしょうね。パパはいつも笑っている。パパは私のことよく知らないって言ってた。明日はクラスのみんなと遠足!みんなは東京に行くらしい。私はどこに行こうかな。

艶なる宴

蓄音機から、ふつと音が途切れた。木々のどよめきと、湿った窓に気付かされる。
小雨にも目をやらせない程、蓄音機は唄い続けていた。
ドビュッシーのレコードは母のお気に入りで、幼い私がそれを投げた時は酷く怒られた。
でも、今の私なら、このレコードはどうだってできるのだと、私の良心に苔を生やしていた。
どうにだってしてしまえと、真っ二つに折ってやろうとしたことがあった。
しかし、手に力を入れる直前、レコードに反射する私の表情は何故か当惑し、目が泳ぎ、呼吸は浅かった。
いつまでも、このレコードが私を形容している筈だった。ドビュッシーが1890年に作り上げた月の光は、私に恋して作られた一曲だとすら思っていた。
月の光で満ちたこの部屋で、踊ることも、感傷に浸ることもしなかった。
ただ、私達はいずれ一つになるのだとわかっていた。
私が音楽になる訳でもなく、月の光が人間になるわけでもない。
ただ、私たちは漠然とした一つになる。
冷めた紅茶も、純潔の枕も、全て月の光を浴びていた。だから、私は月の光を飲んだし、月の光と一夜を過ごしたと思っていた。
今日こそは、と決意した。
ドビュッシーに情けをかけられる日々は此処で終わらせよう。
私は思い切ってレコードを投げた。
本棚に強く当たって、レコードは弾けた。飾っていた花瓶は床を刺すように落下し、破片が飛び散った。薔薇が床一面に広がって、私を酷く動揺させた。
あんなに強く投げても、レコードは清々しい程、私を見ていた。やはり私を反射している。私の頬にはガラスの切り傷が輝き、目から涙が出ていた。呼吸をしていたのか覚えていない。
やはり母を諦めることはできなかった。今日も私は、母を愛していた。レコードに手を掛けても、壊しきれなかった。
母は月の光さえ反射して、夜を踊っているに違いなかった。遠い母の顔は、月のように曖昧で不完全だった。
窓が少し揺れる。思ったよりも、雨が降っていた。

芸術と社会のはなし

去年のクリスマスイブの夜、ツイッターを見ていたら、「サンタさんが来なかった少年の話」を見た。
簡単に言うと「ずっといい子にしていたのに、家庭環境が悪く、両親はサンタになってくれなくて、プレゼントなんて無かった」みたいな話だったんだけど、私はそれを見た時本当に頭に来た。
救いのない話に、一体何の価値があるのだろうか
ただ、人に暗い感情をもたらすだけの芸術。
何のために貴方は芸術をやってるんですか〜
そもそも芸術っていうのは、一生涯関わらなくても済むようなもので、「学業を評価する上で、美術は大して重要ではないから、学校の美術科目が無くなるのでは」みたいな記事を見たけど、本当に、社会にとっての芸術ってそんなもんなんだと思う。
でも、だからこそ芸術は、社会の光になる必要があるんじゃないかな〜

私が頭に来たその漫画は、しかも一切の救いがなかったんだよね。ただのバッドエンド。しかもハッピーエンドになる気配ゼロ。

人間が芸術を見たり感じた時に、八方塞がりになるような芸術は絶対作りたくない。悲しい気持ちになって、しかもそこから抜け道がないような芸術は絶対作らない。
真っ暗闇だとしても、やっぱり最後は満天の星空の下で幸せになる話しか作らない。闇の先に闇があるような芸術は、一体何を伝えたいのかさっぱりわからない。ポリシーもない。雰囲気でどうにかしてるようなもん。

たしかにネガティブなもの程、人間の目は向くから、共感は沢山集まるかもしれないけど、人間の心には一切残らないよ。
椎名林檎ちゃんが、「丸くないと刺さんないよ」って尖った手口で歌ってた

暗い雰囲気を表現したいなら、そこに落ち着きとか逃げ場が感じられる芸術を作りたいよね。
ほんとにほんとに暗くていいのは、日記だけ

とにかく、芸術なんかで、貴方を絶望させない。私に前向きな芸術を作る時がきたようだ

はじめに

はてなブログ、色んな人の話が聞けるから大好きで、ずっと読んでたんだけど、結局自分が書くことになった。
でも、誰かに読んでもらうと言うよりは、ただ私が10代、20代に考えていたことを残しておきたいだけです。
誰かが見てくれてないと、独り善がりの日記みたいな文章になっちゃうから、ブログにした。

いつも思うんだけど、音楽を作ってる人っていいよねー。限られた時間の中でめいいっぱいの思いを詰め込むわけだから、濃度が高くなるし、それを声に出して伝えられるステージもあるわけだし、さらに数十年経った時、昔の自分の思想が振り返れる訳じゃん。本当にいいコンテンツですよネ〜

それに比べて本は、なんかダラダラと続いてしまうし、そもそも私の思いだけを書いて売れる訳ないし、声に出すステージなんて勿論なくて、むしろ誰かから手に取って貰わなきゃいけないし。さらに数十年経った時、恥ずかしさで死にたくなりそう。でも本が好きなんですネ〜

とにかくとにかく私は恥ずかしがりやで、SNSにどば〜っっと思いを書く根性はあるんだけど、閲覧者人数が増えていくたびに怖くなって、速攻消す。
この思いを消して、消してと繰り返して行ったら、私自身の思いって一体どこに行くんだろ。思いを消すたびに、葬式とかしてないし、成仏していないに決まっている…🥺

死にて〜って思うこと沢山あるんだけど、その声がもし私の思いの叫び声だったらどうしよう。ちゃんと私の思いを消化してあげてなかったせいで、つまり成仏させてなかったせいで、私の腹の底から、「死にて〜」って叫んでたらどうしよう。いっつもこれ考えてる。
本当に死にたいかって聞かれたらやっぱり死にたくないし、これは私の思いの断末魔なのでは…

2019年の目標は恥を晒す事なので、ブログを開設しました。恥ずかし〜!!!!!!!
恥を晒し、恥を知り、くだらないプライドと戦います。🔥