apriori_37g

言葉が好き

椎名林檎について

私が人生で一番好きな人、椎名林檎についてここで一度書いておく。

彼女との出会いは中学二年生の時だった。当時慕っていた同級生に勧められてTSUTAYAでアルバムを借りた。勝訴ストリップというアルバムだった。自分の型にぴったりハマるように愛せたのを今でも覚えている。私の心臓にリンゴ型の穴が生まれつき空いていて、それが彼女によって埋まって、今生きているような感覚さえある。もちろん彼女の歌に強く惹かれたのがきっかけだった。聞いているだけで、私は女として輝いていると思わせてくれる、それだけで私にとっては十分だった。音楽に自分を重ねて、同情することくらいしかできないほど自尊心が終わっていたので、本当に十分だった。

ルックスにも惹かれた。抜群に綺麗で、でも私を拒む雰囲気が大好きだった。彼女の潰れた左目さえ、「不完全があってこそ完璧である」と捉えてしまうくらいには信者だった。
出会ってから今日まで、本当に私にとって神様だった。こんな場面で、椎名林檎がこんなことをするはず無いから、私もしない。とか、本気で思っていた。

母が椎名林檎の再婚相手を悪く言ったことに怒った。初めて母に強く物を言えた瞬間だった気がする。私にとって完璧な存在を、不完全にしようとすること・もの全てを許せなかった。
彼女のおかげで、私は少しでも清く正しく生きれた気がしている。

ファンになって6年経った年に、初めて椎名林檎のライブに行った。今まで行く資格が無いと思ってずっと避けていたけれど、今の私なら会えると思った。
ステージは完璧だった。私が求める全てだった。私はこの日のために、許せないこと全てに立ち向かってきたのだと思った。

何気ない言葉に傷ついた時、椎名林檎の言葉を見返しては勇気づけられて来た。彼女は男嫌いで(正確には男特有の文化や思考が嫌いで)、私がそれに不条理に傷つけられたことを知っていて、そのために歌っているような人だから、「男性に好かれようなんて思わない。むしろ大いに嫌って頂きたい。」という一文に何度も何度も助けられてきた。

彼女のルックスにも何度も助けられた。どれだけ目が大きくて愛嬌のある女性が流行っていても、やっぱり彼女が一番美しいといつまでも思う。この先どんな顔が流行ろうとも、目が涼しくて、ツンとしている彼女の顔が大好きだ。世間の作り上げた「可愛い」に流されて自信を失いかけても、彼女を見れば、今の私は全て正しいと思えた。

この先もきっと、彼女は私の支柱として生き続けると思う。
カラオケで彼女の歌を歌うし、友人にも好きだと公言するけれど、本当はそんなもので私と彼女の関係性を表したくないくらい愛している。
こんなこと彼女に伝えたら、多分、私はそれほど完璧ではないと言う気がする。それが謙遜だとしても、事実だとしても、それでいいのだ。私が心底完璧だと思う人に出会えた、それだけで、彼女が虚構だって構わないと思う。
私にとって、彼女は神様であり、母であり、私だった。
いつまでも、貴方に敬礼して、私は死ぬまで生きようと思う。