apriori_37g

言葉が好き

世界で一番愛し合った二人って誰?

私の脳内会議で数ヶ月前から議題に挙がっているのが、「人間は愛に生きるほど愛し尽くしたらどうなるのか」ということである。これは個人差のある結果が生まれることが予想され、AとBに、本気で愛し合ってくださいと命令して実験できることでもない。そのような条件下ではなくて、「偶然出会った2人が、偶然を運命と呼ぶほど愛し合う果て」が知りたい。
ならば私が実験体になるしかないのか。今いる恋人と、世界で一番愛し合えばいいのか。しかしそうでもない。私だけが世界で一番愛するのではいけないのであって、私と恋人がお互いを愛で淘汰するくらい愛し合わなければならない。その熱量が、所謂「愛の実験」を目的として心を燃やし続けることはできるであろうか。そしてさらに厄介なのが、何をもって「世界で一番愛し合っている」と判断するかということだ。
愛に言及し始めるとマジでキリがないので避けたいが、私が知りたいことを端的に言えば、「君が世界で一番好きだ!」と叫んだ先に何が待っているかということである。
私が考え得るいくつかは、通過点として結婚したり、抱きしめたり、食事を共にしたりという極一般的なことから、結果として心中や、逃避行という非現実的なことまで考えられる。しかし、もしも抱きしめるだけでは足りないくらい気持ちが溢れたら、死ぬのも惜しいくらい愛していたら…これが気になって仕方がないのである。
愛し合った果てに、私たち人間は何をするのだろうか。一瞬一秒離れられないくらい恋しかったら、私たちは全てを共にするのか。四六時中隣にいるのか。それは経済的・時間的余裕がなければならなくて、実際不可能に近いが、そんな不可能などこの際全く関係ない。とにかくどうなるのかが気になるのだ。
そして、実際実現可能なのではないかと考えられるのが、老後である。労働する必要もなくなり、有り余る富で毎日を暮らせるとして、そして互いがなによりも愛し合っていたら何をするのか…しかし老いた体には限界があり、私が想像しているようなことは何もできない気がする。
私が想像していること…それは二人の宗教を作ること、二人で許されない罪を犯すこと、二人で宇宙に行くこと、等々であり、それら全てに共通することは「二人だけ」になることである。
そしてまた、彼ら二人に真の孤独は不要である。彼ら以外のもの(人から、猫から、チューリップまで)全てが無くなることを私は指していない。「有の中で孤独を得ること」のみ価値があると考える。
二人の宗教を作り、二人だけが信じる神を想像する。儀式を遂行する。そこには二人だけの孤独が生まれるだろう。
二人で許されない罪を犯し、二人で罪悪感をも愛し、然るべき罰を受ける。そこには二人だけの孤独が生まれるだろう。

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もし生きる意味に対する明確な答えがこの世に1つあるとしたら、貴方の存在意義はなくなる

例えば、生きる意味は愛することで、神も仏も彼もそう言ったとする であれば貴方はこの世に必要無い。何故なら貴方ではなく他の人に代わってもそれが達成できるから 代われるということは、貴方は生きる意味を持っていないのと同じだから 生きる意味って何?って聞かれたら生きる意味なんて無いよ、って私は答え続けてきたけど、ただ「無い」だけじゃない、「ある必要がない」 生きる意味なんて無くていい、生きる意味が無いからこそ貴方は貴方、唯一の一人として生きていると思っていい

生きる意味決めちゃったら、貴方が貴方である必要無くなっちゃうよ それでもどうしても生きる意味が欲しいなら、海凪ちゃんの為に生きてますとでも言ってください 私にとって貴方の愛は誰にも代えられないよ
貴方が今日も幸せでありますように

150km/s

昔と変わったとか、昔の私のままアップデートせず話されると本当にムカつく、私は1日でも早く過去から離れたいし、私が変わったんじゃなくてお前が変わってないだけなんじゃないの。口が悪いまま敵意を持って言う、私を過去に見て過去に殺したままの奴ら、このスピードは絶対譲らない。醜い私の過去に捕まってる奴ら全員トップスピードで置いていく。過去の私を笑う奴、目を見開いて、私の目を覗け。今の私は今ここにいて、お前が笑ってた私の目の色、今は黒。絶対に淀みのない黒。迷いのない黒。お前の色が混ざる隙もないくらいの黒。黒く黒い。お前のおかげでこんなに黒くなった。自分でも自分が見えないくらいの黒。狙った人を逃がさないくらいの黒。返り血も映らないくらいの黒。過去に生きているらしい私は私が殺す。私が私にとどめを刺すから、それはお前の仕事じゃない。滅多刺しにするのは私の遺体で結構、お好きにどうぞ。それはもう過去の私だから、好きに使えばいい。デッサンしたり、展示したり、好きにすれば。もうそれは過去だけれど。過去を殺し続ければ。今はどんどん進んでいくけれど。お前が足枷になって、今を殺しそうになることが何度も何度もあるけれど、それを救ってくれるのも全部全部今なんだよ。今慕う人、今愛してくれる人がいるから、過去のお前はいとも簡単に捨てられる。お前はもう要らないから。例えお前が今に追いついたって、お前は要らない。だってすぐ立ち止まって、結局過去に生きてるじゃん。虐められてた私、見下されてた私はもう死んでるのに、何度遺体を眺めて笑ってんの。私は笑われる度に死んで、愛される度に蘇ってきた。お前に何度も殺されたけど、最近お前を殺せるようになってきた。今がお前より生き生きしてるからだよ。お前の邪悪なんて入り込む余地は一切ない。今にそんな暇はない。私は今に生きてるし未来を見てるから、この紅さは絶対譲らない。絶対に譲らない。過去のお前のせいで今を犠牲にしない。捨てる、お前も私も捨てて走る。毎秒捨てる。絶対にお前を置いていく、絶対にお前を置いていく。恩讐の果てに、早朝の果てに置いていく。

椎名林檎について

私が人生で一番好きな人、椎名林檎についてここで一度書いておく。

彼女との出会いは中学二年生の時だった。当時慕っていた同級生に勧められてTSUTAYAでアルバムを借りた。勝訴ストリップというアルバムだった。自分の型にぴったりハマるように愛せたのを今でも覚えている。私の心臓にリンゴ型の穴が生まれつき空いていて、それが彼女によって埋まって、今生きているような感覚さえある。もちろん彼女の歌に強く惹かれたのがきっかけだった。聞いているだけで、私は女として輝いていると思わせてくれる、それだけで私にとっては十分だった。音楽に自分を重ねて、同情することくらいしかできないほど自尊心が終わっていたので、本当に十分だった。

ルックスにも惹かれた。抜群に綺麗で、でも私を拒む雰囲気が大好きだった。彼女の潰れた左目さえ、「不完全があってこそ完璧である」と捉えてしまうくらいには信者だった。
出会ってから今日まで、本当に私にとって神様だった。こんな場面で、椎名林檎がこんなことをするはず無いから、私もしない。とか、本気で思っていた。

母が椎名林檎の再婚相手を悪く言ったことに怒った。初めて母に強く物を言えた瞬間だった気がする。私にとって完璧な存在を、不完全にしようとすること・もの全てを許せなかった。
彼女のおかげで、私は少しでも清く正しく生きれた気がしている。

ファンになって6年経った年に、初めて椎名林檎のライブに行った。今まで行く資格が無いと思ってずっと避けていたけれど、今の私なら会えると思った。
ステージは完璧だった。私が求める全てだった。私はこの日のために、許せないこと全てに立ち向かってきたのだと思った。

何気ない言葉に傷ついた時、椎名林檎の言葉を見返しては勇気づけられて来た。彼女は男嫌いで(正確には男特有の文化や思考が嫌いで)、私がそれに不条理に傷つけられたことを知っていて、そのために歌っているような人だから、「男性に好かれようなんて思わない。むしろ大いに嫌って頂きたい。」という一文に何度も何度も助けられてきた。

彼女のルックスにも何度も助けられた。どれだけ目が大きくて愛嬌のある女性が流行っていても、やっぱり彼女が一番美しいといつまでも思う。この先どんな顔が流行ろうとも、目が涼しくて、ツンとしている彼女の顔が大好きだ。世間の作り上げた「可愛い」に流されて自信を失いかけても、彼女を見れば、今の私は全て正しいと思えた。

この先もきっと、彼女は私の支柱として生き続けると思う。
カラオケで彼女の歌を歌うし、友人にも好きだと公言するけれど、本当はそんなもので私と彼女の関係性を表したくないくらい愛している。
こんなこと彼女に伝えたら、多分、私はそれほど完璧ではないと言う気がする。それが謙遜だとしても、事実だとしても、それでいいのだ。私が心底完璧だと思う人に出会えた、それだけで、彼女が虚構だって構わないと思う。
私にとって、彼女は神様であり、母であり、私だった。
いつまでも、貴方に敬礼して、私は死ぬまで生きようと思う。

今日、嫌なことがあって、ボロボロ泣いた。神社のベンチで。
考え方がかなり極端らしく、「それは考えが行きすぎだよ、大丈夫だよ」って言われたけど、もう私の頭は最悪の場合を考えることしかできない。幼少期は本当に「最悪の場合」の出来事しか起こらなかった。だからもうそういうことしか考えられない
なんだか私の地毛の茶髪が悪いらしい。私の離婚したパパの遺伝が、どうも社会的にダメらしい。私、辞めなきゃいけないんですかね
恋人は「そんな訳ないよ」って言ってたけど
やっぱり差別っていうのはまだまだある

八つ当たりして恋人を傷つけてもっと最悪になった。もう何が何だかわかんない。そもそも私がなんでこんなに悲観的で打たれ弱いのかがわからない。そっから治したい。もう鬱病でもなんでもいいから診断されたい。というかもうなってるかもしれない。もう病気を言い訳に生きたい。

本当に今すべてがいっぱいいっぱいで、自分の厄年具合に驚くとともに、厄年のせいにできて良かったとも思う

未だに日本は大多数が正しいらしい。恐ろしいですね

(2019.夏)

春休み越えて

春休み本当に嫌だ。春休み始まって2日目、すでに頭がおかしくなってきた。これから1ヶ月何もない毎日が怖すぎる。私は暇が怖い。でも一人の方が好き。でも暇は本当に怖い。暇に何回も殺されかけてきた。
就活が待ってる。だから普段よりも暇が怖い。春休みは就活の用事を5つくらい入れた。普通なのかわからないけど、やってないわけじゃ無い。だからいいはずなんだけど、暇でいいのかなって気持ちばっかりだ。
なんで暇を楽しめないんだろう。ゲームとかやればいいのに。私が暇であればあるほど誰かに置いていかれている気がしてしまう。
暇が怖い。暇に対してマジで涙目である。自分が弱いのか強いのかわからないな。

2:35

誰かに甘えたいけど、誰かに熱湯ばっかぶっ掛けてる私にそんな権利無くて、ますます一人になっている10月24日木曜日。私だって本当は全てを投げ打つくらいの大恋愛、大友情大会をしたいけどできない。多分自分が一番好きだから、そして私は他人に死ぬほどボコボコにされてきたからできない。

本当は優しい奴が一番強い気がしてきたTwitterでのレスバトルで根拠もしっかり持ち出して言論の暴力圧勝したところで私はちっとも強くない

誰かに頼ったところで本質はなにも変わらない、それがわかってるから頼らず一人で殺し続けてたらいつの間にか手は血塗れで服は赤くて春来てて、もう誰もいなくなってた
大好きな女の子なんて本当に少ししかいないよ。もう哲学の話できる子にしか興味ないよ もうダメ 結局自分が興味あること喋れる子にしか興味ねー 本当に人に対して興味がない。もちろん私の不幸話にも心底興味がない
でも一人になりたいんだよね ネットの中で生きてるのが私だけだったらいいのに
私は私を辞めたいけど辞めたところで生まれ変わりたい人誰もいない。私死んだらまた私になりたいよ だってみんなだらしなくてクチャクチャ飯食って人の悪口ほざいて死んでんだもんお前らにはなりたくないね絶対
一人が怖い