apriori_37g

言葉が好き

独りについて

・独りについて
何を犠牲にしてでも私は独りが大好きで、何故なら、誰もいないし、誰もいなくていいから。けれど、独りを好きでいられるのは、やはり私は真の孤独ではないからだ。
コーヒーを淹れて、今静かに目を閉じたその次に、全ての人が消えていたとしよう。テレビを点けても、誰も映っていない。自動車は全て止まり、時が進むにつれ様々なシステムも息をひきとる。おそらく貴方はモナリザに抱きつくし、冷蔵庫の内臓は次々と腐敗していく。それでもなお私は独りが好きだと言えるか。考えるだけでも恐ろしい。やはり私は本当の独りなんて求めていないはずだ。
少し話が大きすぎたから、もう少し小さな話にしよう。
これは全てに言えることで、あるものには必ずほかのものがある。独りが好きだと思うことは、誰かといることが嫌いだと思うことになる。つまり独りが好きだというその気持ちは、誰かがいないと成り立たない。東海道線に絶望して、もう誰にも頼らず生きてやると叫んでも、誰にも頼らない時点で、それはつまり誰かに頼っていることになる。期待しないという点で頼っているということになる。
もっと小さな話にしよう。
大勢の飲み会について行けない私と、ついて行きたくもない私が混在する夜11時に、もし独りが恋しくなったとしよう。もう今すぐ逃げ出して、とっとと哲学と眠りたいとしよう。
けれどそれが出来ないのは、貴方が弱いからではない。貴方は結局、他人にどう思われるかが気になって仕方がないからだ。今ここで突然帰ったら、明日合わせる顔が無いことを知っていて、貴方はトイレの鏡の中に逃げることしかできないのだ。それでも、決してそれは弱さでは無い。けれど、他人を蔑ろにして、独りになりたいなどと思うべきでも無い筈だ。
独りは贅沢な嗜好品だということを忘れてはいけない。
やはり毎晩ケーキを食べる訳にはいかないということを分かっているだろう。
いつか他人と過ごす時間が、私の嗜好品になればいいと思う。