apriori_37g

言葉が好き

夏が始まって 2017.7.24

何十年もの歴史たちと向き合った後、自分が驚くほどに幼くて、泣きたくなるような恥ずかしさ、直面させられる自分の弱さに未だ勝てたことがない。
何十年もの歴史たちは何も宗教だとか芸術ではない。
私のそばにいる母、今は遠い父、いつまでも煙草をやめない上司。
何十年もの歴史を重ねてきた"人間"と対面することが恐ろしくて仕方ない時がある。
馬鹿笑いした後に襲ってくる、指を切ったような切なさ、なんで?と聞かれた時に全てを見透かされた気になって何も言えなくなる私は、人間に関わるほど、ジェンガの木が一つ一つ抜かれた気持ちになって、グラグラと崩れだしそうになる。
ハンバーガーを半分も食べられなかった私は、世界に否定された気持ちになって、真昼間の東海道線でボロボロ泣いた。
みんなが自ら進んで食べようともしない、添加物だらけのファストフードを食べられなかった自分が許せなかった。生きてちゃいけない気がした。

バスの運転手に疑われた朝帰り。母は気づかなかった嘘も、バスの運転手は気づいていたんだろう。

大勢の人間と騒いだ後の孤独は、自分の嫌なところが津波のように襲ってくる。これに耐えきれた試しがない。
私はここにいていいのかなんて思ったって、みんな「いいよ」って言ってくれる。沢山の人が私を許してくれる。みんな私を愛してくれている。何十年、何百年もの歴史たちと私は生きている。

たった18年の歴史をかかえた私も、いつかは30年、50年と歴史を重ねていくんだろう。私が愛した歴史は順に死んでいくんだろう。
私はどうしても、理解したくない。母が死ぬこと、父が死ぬこと、上司が死ぬこと。私が死ぬこと。

いくら本を読んだって、いくら勉強したって、偉くなんてなれなかった。

(2017年の夏に書いた文章を発掘しました。今の私と大して変わんなくてワロタ)