apriori_37g

言葉が好き

いつまで私は独りが好きなんだろう

いつまで私は独りが好きなんだろう
今日は本当にダメで人と全然喋れなかった
全然馴染めなかった
きっと誰も悪くないしむしろ気遣ってくれた人いたけどそれでもダメだった
いつまで私は独りが好きなんだろう
やっぱり独りで文を書いたり絵を描いたり本を読んだりネットサーフィンしたりしてる時間が何よりも幸せで絶対必要な時間で、だからダメだった
もっと楽しくなりたいなもっともっと飲み会が好きになりたい人と話すことが好きになりたい
怖いな全部私は私が一番わからない誰もわかんない
なんでなんでって思うけど、案外みんなもそうなんだろうな、なんやかんやみんな、ネットサーフィンしてる時間が一番好きで、表向きにサッカーが趣味ですとか言ってるだけかもしんない。そうだといいな そうでいてほしいな
もしそうなら猫被らずそう言ってよでも私が一人で家にいる時間が一番好きっていうと微妙な反応されるしやっぱ私だけ?それとも会話の為に嘘ついたほうがいい?料理が趣味ですって言えばいい?やっぱり。
そしてやっぱりやっぱり 大好きな先生なんで私達の元を去ってしまったの 私は本当に大好きだった 貴方がいない飲み会、ほんとにつまんなかったよ。貴方の声が聞こえなきゃダメだダメだ今はどこでお仕事してるんだろ。お願い会いたいよ 会いたい
寂しい永遠に。ずっと
もうみんな何でもかんでも喋ってほしい。悲しい話でもいいよしようよ。本当につまんないよアンタの好きなミュージシャンとか、マジでどうでもいいお願いだから貴方の話を聞かせてよ何を食べて何が好きで何に泣いたか教えて

小説(タイトル未定)

それはまさしく春の訪れであった。私の心に爆発するように花開く桜。神の息吹は張り詰めた頬を打った。曖昧な教室の中央に、少女が座っている。絹の様な、やや重く垂れる黒髪は富士宮の白糸ノ滝を彷彿させ、尖った鷲鼻は黒板の奥を向き、滲んだ瞳は我々がまだ見ぬ世界を映しているに違いない。私は彼女に酷く罵られるのを想像した。内臓が熱くなるのが分かった。所謂一目惚れであった。

この日は始業式であった。一つ年下の新入生達がまだ固い制服を着て朗らかな廊下を遊歩している姿を友人と眺めた。麗しい少女が目の前を通り過ぎる度に我々は沸き返ったものの、私の心の内はずっと平静であった。教室の少女は私の頭の片隅に居座った。黒い世界で椅子に座り、私の心臓を一点に見つめては浅く呼吸を繰り返している。
彼女の名前が知りたかった。私は何度も彼女の座っていた席の方へ目を向ける。どんな名だろうか。真弓?光?凛?彼女の名にさえ期待を滲ませた。名は体を表すと言うし、きっと引き裂くように真っ直ぐな名に違いない。私の名字に似合う名だといい。
廊下を歩いていた新入生達は川に流されるように去っていった。鐘が鳴り、私の学級を担任する教師がやって来た。若い女であった。歳は二十前半で、少し明るい栗色の髪で、睫毛がうんと長かった。教師は身体測定の案内と時間割が書かれた紙を配り、ではまた明日。と、微笑んだ。新しい学級になったとはいえ、二年生の私達の始業の日は呆気なく終わり、私は友人に肩を組まれ教室を出た。ラーメンでも食いに行こうと言われた。私はあの少女を最後に一瞥した。彼女は身体測定について書かれた紙を穴が空くほど見つめていた。瞼は落ち、眉はなだらかであった。彼女の名前は分からなかったが、明日にでも分かるだろう。それまで、似合う名を考えることで精一杯だった。

体操着に着替えて外に出た。これ程までに春を愛したことがあったであろうか。今までは寧ろ憂鬱で、まだ見ぬ私に恐れさえしていたものの、今日は舞い上がる蝶に想いを馳せる余裕すらあった。二年生になり二日目にして夢見心地の通学路は散々な嵐の日を思い出させようとしない。

校門をくぐり、下駄箱の前で友人と挨拶を交わしたら、彼はぎこちない表情をして私の耳元で囁いた。「君の教室に心臓病の女がいるというのは本当か?」私は驚いた。そんなことを知る由もなかったし、それを知って何になると思った。「知らない。どうかしたか。」「その女は短命だというんだ。あと一年も保たないらしい。」彼は笑ったような、泣いたような顔をしていた。その女を思っての筈もなく、ただ純粋な好奇心だけであった。「私は知らないが、それはそうと残念だな。教室の誰かが死ぬのか。」彼は酷い言い方だと私を責めたが、実は同じ心持ちであるに違いなかった。
席に着き、よく見渡すと知った顔が何人か見える。沢山の女生徒の姿を幾度と目にしても、やはり私はあの少女を探していた。しかし、一限目の鐘が鳴っても、彼女は姿を現さなかった。
我々は体育館へ向かい身長や体重を計測し、肺を映したり、刺さるように冷たい聴診器を当てられたりした。友人達は女生徒の胸や脚を見てはあれやこれやと論評を重ねていたが、それは実にくだらなく無意味だと薄々勘付いていた。友人の一人に何故そんなに黙っていると問い詰められても、恥ずかしがり屋なのだと茶化されて、卑しくはにかむ事しかできなかった。私の眼中にはあの少女しかいないと言うことなど出来なかった。

最後に、心電図検査が行われた。診断表を眺め列に並ぶ。去年より背は四センチも伸びていたし、体重は五キロも増えていた。このまま私は何処まで大きくなってしまうのだろうかと怖くなった。私の診断表を覗き込んだ友人が、肩を叩き「そういえば、心臓病の女って誰なんだ。」と訝しむ目で女生徒を眺めはじめた。私も顔を上げて女生徒の列に目をやるが、見た目でわかる筈などなかった。すると友人の一人が、「いや、心臓病の女はここには居ない」と言い出した。「心臓病を患っていると知っていて、心電図検査を受けるはずがない。学校の検査はあまりにも簡易的で誤診も多いし、何より分かっている病気を告げられても哀しくなるだけだろう。」その瞬間私の心臓は大きく脈打った。あの少女はいないのか。今日の朝もいなかった。私は急いで女生徒の並ぶ頭部を一つ一つ見た。確かにあの頭部は無かった。全身の血が冷めるのがわかった。彼女はもうすぐ死んでしまうのか。友人は「それは残念。でも、いないと言われても誰が欠けているのかわからないな。なんせ昨日初めて出会った人達ばかりだから。」と、途端に興味を無くし、また女生徒の論評を始めた。
どうしようか。私は彼女が当たり前に生きていると思っていた。その時初めて、私と彼女との未来を、果ての果てまで夢見ていた自分に気づいた。私は彼女と一過性の関係など望んでいなかった。愛し愛された果てに興味があったのだ。白いシルクを纏った彼女を抱いた夢想の私を恨んだ。もし彼女が本当に死んでしまったら、永久の夢になってしまう。
気づけばベッドに寝かせられ、心電図検査が始まっていた。丸眼鏡をかけたおばさんが、私の腹筋に手を当てている。少し待ってから、「お疲れ様です。」と声をかけられ、身体を起こした。私は生きている心地がしなかった。生きているからこそ、心電図検査を受けられるというのに、私という私は殆ど死んでいた。

その後の私は上の空であった。声を掛けられるも反応は鈍く、それを見かねた友人に、「確かに新しい教室は緊張するけれど、僕たち友達なんだから」と大笑いされた。私はそれ程つまらない理由で言葉を詰まらせている訳ではないのだ。今にもむせ返りそうな緊迫感があった。一通り健康診断を終えても、あの少女は教室にいなかった。そのまま今日の全てが片付いてしまった。

二十年の構造

二十歳になった。私が二十年続いた。最近やっと気づいてきたことだけれど、みんなそれぞれ色々悩んでるし、私の悩みはすぐ傍にいる誰かの悩みだったりする。私は本や絵ばかりに向き合ってきたけれど、いま本当に向き合うべきなのはいま隣にいる人間なのだとようやく気付いた。
誕生日の一日前、私は大きな後悔をした。当たり前にある未来だと思っていたものを突然失ってしまった。私ではなく教え子の人生だった。私はこれからずっと、これを枷に仕事を続けるのだと思う。
仕事を二年続けてきても、まだ沢山間違ってしまう。みんなはできているのに、何故私は間違えるんだろうとずっと思っていた。
二十歳を迎えた朝、同期の男と喋り続けた。彼は「俺だって沢山やらかしてるよ」と答えた。私は他人の失敗が見えなかっただけで、それぞれがそれぞれに悩んでいるし、前に進もうとしているのだと思った。本当に当たり前のことだけれど、私は全然気づいていなかった。
上司に迷惑をかけることを一番恐れていた。もっと言えば、自分が嫌われるのを一番恐れていた。でも、上司だって間違えはするし、結局は笑って私と話してくれる。私は他人を恐れすぎている。
家族のことも考えた。正直家族のことは嫌いだ。今父として家にいる男は本当の父では無いし、妹とは何年も話していないし、母のデリカシーの無さには疲れる。今すぐ誰かさらって欲しい。
私はもう、家族以外に必要とされる人生を送りたい。一緒にいて楽しい人になりたい。恥を捨てられる人間になりたい。しっかり謝れる人になりたい。誰とでも話せる人になりたい。

たしかに私ほんとに弱くて弱くて弱くて、みんなができることできない。本当に友達少ない。小さなことずっと引きずる。生きたくないってしょっちゅう思う。いっつも泣いちゃう。週一で泣いてる。ベッドで涙止まんない事ばっかで、もう何が辛いのかもわかんない。小さい頃本当に最低最低なことしかなくて、自分が未だに何に傷ついてるかってことすらわかんない。辛い子は「いじめられてて」とか「親が嫌いで」って言うけど、私ほんとうにわかんない、なんでこんなに自分が辛いのかわからなくなるくらいしょーもない事ばっかだった。この世の不幸って奴は大概食べてきた、だから誰かの辛さは割と理解できる方だけど、だからなんだって話ですし、本当に生きるのに苦労する。なんで人を嗤う奴が幸せになってんの。昔私の髪を引きちぎった君は元気ですか。なんで私だったの。恋人といると泣くことが多くなった。やっと心を許せる人だから自然と昔の嫌なことがフラッシュバックして大嫌いな奴の顔が浮かんで、そしたら怖くなって切りつけたくなって涙急に出てくる急にどうしたのって抱きしめてくれる、分かるとかしょうがないとか無責任な事言わずにただ黙って抱きしめてくれるけど、これがパパだったらよかったのにって思う私ほんとはもう会えないパパに抱きしめてほしいんだっていっつもいつも思う一生捕まり続けるこの人生に、地球ごとゴミ箱捨てられたらいいのに。私神様になって不幸な人たち全員幸せにしたら、そのまま地球ぶっ壊したい。さんにーいちで諸共オワリ

正十二面体の女

今日も風呂にアヒルを浮かべて、あの女のことを思う。なんと正十二面体の女。
あの女は、裏表のない女だった。裏表なんかじゃ済まされない女だった。裏表という二次元的で、規定も曖昧な存在では無かった。

正十二面体(せいじゅうにめんたい、英:regular dodecahedron)は立体の名称の1つ。空間を正五角形12枚で囲んだ凸多面体。
種別:正多面体、十二面体
面形状:12枚の正五角形
辺数:30
頂点数:20
頂点形状:53
シュレーフリ記号:{5, 3}
ワイソフ記号:3 | 2 5
対称群:Ih
双対多面体:正二十面体
特性:凸集合

(Wikipedia 正十二面体)
あの女は、十二面もあるに加え、精密な正五角形で作られた。作られたと言うよりは、「形容されていった」と現すのが適当であろう。生まれた時から正十二面体なのではない。彼女の人生、環境、価値観、焦燥が、姿を正十二面体にさせたのだ。
確かに、彼女はコロコロと変わる訳では無かった。正十二面体を卓上で転がすことはできなかった。ケラケラと笑ったりメソメソと泣くことはあったが、「喜怒哀楽を表す"面"がそれぞれ違った」と言うのが妥当であろうか。
喜ぶと言っても、十二の喜び方を持つ女であった。しかも正五角形の。
彼女は怖くなど無かった。十二面もある不可解さはあれど、正しい五角形で作られた誠実さは、私を安心させた。
純粋的な彼女を見ようとするも、それは正十二面体。この面はどの面なのかわからない。その十二面に数字を付けて判別することもできない。彼女自身もまた、自分が今どの面を生きているのか解していないから。
人間は、創造の時を回ってゆくうちに、段々と球体になる。最初は歪な図形でも、傷つき、生み出すことが、人を丸く形作らせる。しかし彼女はどうだ。いずれ球体になることは共通事項であれど、正十二面体を過程しているのだ。彼女は正しく球体になる。正しく傷つき、正しく生み出す。
彼女を展開したら如何なるか。彼女の体積は如何なるか。彼女の表面積は如何なるか。
全て彼女をバラバラにしないと分からない。
あゝ、正十二面体が歩道橋を渡っている。砂浜に文字を描いている。沈む夕陽に感化されている。その姿は総て正十二面体。
私が恋する女は、正十二面体。
「人はいつか死ぬ、だからなんなの?それでも貴方は、今も生きていることに変わりはない。」

刺したかき氷

またあの子にフラれた。彼女の足踏み、彼女の猫を撫でる掌、彼女の喉を通るストレートティー。それら全てが僕を拒んでいると悟らせる。
僕の気持ちはまた埋葬。今日は乳白色の浴槽に沈めた。僕はMステに出てた今流行りのラブ・ソングを歌う女が大嫌いだった。
初めて手を繋いだあの日を劇的に回想することも狂気の沙汰だ。彼女は僕のことなんてこれっぽっちも愛していないと分かっている。
彼女にあげた真っ白のハンカチーフは、今どこにあるのだろうか。きっと雑巾にでもして油彩の筆を拭いているに違いない。
僕は彼女のことが本当に大好きだった。
いつも遅刻してくる姿も、ワイン片手に大笑いする顔も、生暖かい二の腕も全部大好きだった。
造成の夏、今日も君はこの世にいない。

夏が始まって 2017.7.24

何十年もの歴史たちと向き合った後、自分が驚くほどに幼くて、泣きたくなるような恥ずかしさ、直面させられる自分の弱さに未だ勝てたことがない。
何十年もの歴史たちは何も宗教だとか芸術ではない。
私のそばにいる母、今は遠い父、いつまでも煙草をやめない上司。
何十年もの歴史を重ねてきた"人間"と対面することが恐ろしくて仕方ない時がある。
馬鹿笑いした後に襲ってくる、指を切ったような切なさ、なんで?と聞かれた時に全てを見透かされた気になって何も言えなくなる私は、人間に関わるほど、ジェンガの木が一つ一つ抜かれた気持ちになって、グラグラと崩れだしそうになる。
ハンバーガーを半分も食べられなかった私は、世界に否定された気持ちになって、真昼間の東海道線でボロボロ泣いた。
みんなが自ら進んで食べようともしない、添加物だらけのファストフードを食べられなかった自分が許せなかった。生きてちゃいけない気がした。

バスの運転手に疑われた朝帰り。母は気づかなかった嘘も、バスの運転手は気づいていたんだろう。

大勢の人間と騒いだ後の孤独は、自分の嫌なところが津波のように襲ってくる。これに耐えきれた試しがない。
私はここにいていいのかなんて思ったって、みんな「いいよ」って言ってくれる。沢山の人が私を許してくれる。みんな私を愛してくれている。何十年、何百年もの歴史たちと私は生きている。

たった18年の歴史をかかえた私も、いつかは30年、50年と歴史を重ねていくんだろう。私が愛した歴史は順に死んでいくんだろう。
私はどうしても、理解したくない。母が死ぬこと、父が死ぬこと、上司が死ぬこと。私が死ぬこと。

いくら本を読んだって、いくら勉強したって、偉くなんてなれなかった。

(2017年の夏に書いた文章を発掘しました。今の私と大して変わんなくてワロタ)