apriori_37g

言葉が好き

たしかに私ほんとに弱くて弱くて弱くて、みんなができることできない。本当に友達少ない。小さなことずっと引きずる。生きたくないってしょっちゅう思う。いっつも泣いちゃう。週一で泣いてる。ベッドで涙止まんない事ばっかで、もう何が辛いのかもわかんない。小さい頃本当に最低最低なことしかなくて、自分が未だに何に傷ついてるかってことすらわかんない。辛い子は「いじめられてて」とか「親が嫌いで」って言うけど、私ほんとうにわかんない、なんでこんなに自分が辛いのかわからなくなるくらいしょーもない事ばっかだった。この世の不幸って奴は大概食べてきた、だから誰かの辛さは割と理解できる方だけど、だからなんだって話ですし、本当に生きるのに苦労する。なんで人を嗤う奴が幸せになってんの。昔私の髪を引きちぎった君は元気ですか。なんで私だったの。恋人といると泣くことが多くなった。やっと心を許せる人だから自然と昔の嫌なことがフラッシュバックして大嫌いな奴の顔が浮かんで、そしたら怖くなって切りつけたくなって涙急に出てくる急にどうしたのって抱きしめてくれる、分かるとかしょうがないとか無責任な事言わずにただ黙って抱きしめてくれるけど、これがパパだったらよかったのにって思う私ほんとはもう会えないパパに抱きしめてほしいんだっていっつもいつも思う一生捕まり続けるこの人生に、地球ごとゴミ箱捨てられたらいいのに。私神様になって不幸な人たち全員幸せにしたら、そのまま地球ぶっ壊したい。さんにーいちで諸共オワリ

正十二面体の女

今日も風呂にアヒルを浮かべて、あの女のことを思う。なんと正十二面体の女。
あの女は、裏表のない女だった。裏表なんかじゃ済まされない女だった。裏表という二次元的で、規定も曖昧な存在では無かった。

正十二面体(せいじゅうにめんたい、英:regular dodecahedron)は立体の名称の1つ。空間を正五角形12枚で囲んだ凸多面体。
種別:正多面体、十二面体
面形状:12枚の正五角形
辺数:30
頂点数:20
頂点形状:53
シュレーフリ記号:{5, 3}
ワイソフ記号:3 | 2 5
対称群:Ih
双対多面体:正二十面体
特性:凸集合

(Wikipedia 正十二面体)
あの女は、十二面もあるに加え、精密な正五角形で作られた。作られたと言うよりは、「形容されていった」と現すのが適当であろう。生まれた時から正十二面体なのではない。彼女の人生、環境、価値観、焦燥が、姿を正十二面体にさせたのだ。
確かに、彼女はコロコロと変わる訳では無かった。正十二面体を卓上で転がすことはできなかった。ケラケラと笑ったりメソメソと泣くことはあったが、「喜怒哀楽を表す"面"がそれぞれ違った」と言うのが妥当であろうか。
喜ぶと言っても、十二の喜び方を持つ女であった。しかも正五角形の。
彼女は怖くなど無かった。十二面もある不可解さはあれど、正しい五角形で作られた誠実さは、私を安心させた。
純粋的な彼女を見ようとするも、それは正十二面体。この面はどの面なのかわからない。その十二面に数字を付けて判別することもできない。彼女自身もまた、自分が今どの面を生きているのか解していないから。
人間は、創造の時を回ってゆくうちに、段々と球体になる。最初は歪な図形でも、傷つき、生み出すことが、人を丸く形作らせる。しかし彼女はどうだ。いずれ球体になることは共通事項であれど、正十二面体を過程しているのだ。彼女は正しく球体になる。正しく傷つき、正しく生み出す。
彼女を展開したら如何なるか。彼女の体積は如何なるか。彼女の表面積は如何なるか。
全て彼女をバラバラにしないと分からない。
あゝ、正十二面体が歩道橋を渡っている。砂浜に文字を描いている。沈む夕陽に感化されている。その姿は総て正十二面体。
私が恋する女は、正十二面体。
「人はいつか死ぬ、だからなんなの?それでも貴方は、今も生きていることに変わりはない。」

刺したかき氷

またあの子にフラれた。彼女の足踏み、彼女の猫を撫でる掌、彼女の喉を通るストレートティー。それら全てが僕を拒んでいると悟らせる。
僕の気持ちはまた埋葬。今日は乳白色の浴槽に沈めた。僕はMステに出てた今流行りのラブ・ソングを歌う女が大嫌いだった。
初めて手を繋いだあの日を劇的に回想することも狂気の沙汰だ。彼女は僕のことなんてこれっぽっちも愛していないと分かっている。
彼女にあげた真っ白のハンカチーフは、今どこにあるのだろうか。きっと雑巾にでもして油彩の筆を拭いているに違いない。
僕は彼女のことが本当に大好きだった。
いつも遅刻してくる姿も、ワイン片手に大笑いする顔も、生暖かい二の腕も全部大好きだった。
造成の夏、今日も君はこの世にいない。

夏が始まって 2017.7.24

何十年もの歴史たちと向き合った後、自分が驚くほどに幼くて、泣きたくなるような恥ずかしさ、直面させられる自分の弱さに未だ勝てたことがない。
何十年もの歴史たちは何も宗教だとか芸術ではない。
私のそばにいる母、今は遠い父、いつまでも煙草をやめない上司。
何十年もの歴史を重ねてきた"人間"と対面することが恐ろしくて仕方ない時がある。
馬鹿笑いした後に襲ってくる、指を切ったような切なさ、なんで?と聞かれた時に全てを見透かされた気になって何も言えなくなる私は、人間に関わるほど、ジェンガの木が一つ一つ抜かれた気持ちになって、グラグラと崩れだしそうになる。
ハンバーガーを半分も食べられなかった私は、世界に否定された気持ちになって、真昼間の東海道線でボロボロ泣いた。
みんなが自ら進んで食べようともしない、添加物だらけのファストフードを食べられなかった自分が許せなかった。生きてちゃいけない気がした。

バスの運転手に疑われた朝帰り。母は気づかなかった嘘も、バスの運転手は気づいていたんだろう。

大勢の人間と騒いだ後の孤独は、自分の嫌なところが津波のように襲ってくる。これに耐えきれた試しがない。
私はここにいていいのかなんて思ったって、みんな「いいよ」って言ってくれる。沢山の人が私を許してくれる。みんな私を愛してくれている。何十年、何百年もの歴史たちと私は生きている。

たった18年の歴史をかかえた私も、いつかは30年、50年と歴史を重ねていくんだろう。私が愛した歴史は順に死んでいくんだろう。
私はどうしても、理解したくない。母が死ぬこと、父が死ぬこと、上司が死ぬこと。私が死ぬこと。

いくら本を読んだって、いくら勉強したって、偉くなんてなれなかった。

(2017年の夏に書いた文章を発掘しました。今の私と大して変わんなくてワロタ)

もうあの歌が聴けなくなった。私の無実を証明する東海道線午前11時、目を閉じてずっと聴いてたロック・バンドの叫び声は、私の暴れる心臓と同期して動悸、すごいことになった。音楽が私のものになるということをあの日はじめて知った。私の愛すべき栗色の髪はあんたら馬鹿どもの世界じゃ異常らしい。くだらねぇ、百済ねぇ百済観音の助けもねぇ私の人生は人間様に殺されそう!私はお医者様に助けを求めた。百済観音は東京の高層ビルにいた。そこに着くまでの1時間、JR東海道線の5両目、動悸を連れてずっと目を閉じてた。ずっとロック・バンドの叫びを聴いては私にも叫ばせろ、怒鳴らせろ、ヤらせろと思ってた。
東京着いて、大きな百済観音の元へやってきた。百済観音は「平成にもなって、害悪が沢山いますね」と仰った。
お墨付きの診断書貰って笑顔になって、二千円もする和食定食食って帰ってきた。まー百済ねぇですね。当たり前だと思うな。私を弱者にたらしめたのは百済ねぇ命授かってつまんねぇ価値観で毎日ゲロ吐いてるテメェらだよ。冷めた目して仕事してんじゃねぇよ。これで私の栗色の髪は地毛だと証明されたわけですが、だからなんだよ。土下座しろ。私が簡単に許すと思うなよ。お前が私を見るたびにごめんなさいって思って欲しいから、私絶対お前から離れない。ずっと隣にいてやるよ。なんでもしてやる。地獄まで着いてってやるよ。東海道線快速で地の地まで追っかける。お前が御免なさいって言ったら、まだまだですって頭ぶん殴ってやる。アホみたく笑って待ってろ

ボツ

今日も孤独に勝てない。
深夜一時十七分。本を捲っても何も頭に入ってこない。猫を撫でてもこちらを見ない。スマートフォンは明る過ぎる。
独りきりだということが何なのであろうか。
中国の万里の長城を思う。あの大きな城だって何年も孤独だったはずだ。
私は孤独に勝てない。
あの子だって孤独だと知っている。あの子だって血を流したと知っている。それでも私だけが底に落ちた気がする。
独りきりだということが何なのであろうか。他界した父を思う。あの人は永遠の孤独を手にしたのだ。
いつまでも孤独に勝てない。
貴方と繋ぐ手を離した交差点。友人たちと笑い合った後のシャワー。空を切るような海を眺めた時の肌寒さ。
独りきりだということが何なのであろうか。
私には愛する人がいるし、愛してくれる人もいる。私は幸せなはずだ。
古代ローマを思う。深海魚を思う。キリストを思う。高速道路を思う。
今にもみな孤独だと知っている。誰かが泣いていると知っている。誰かがテレビを消したと知っている。誰かが皿を割ったと知っている。誰かが死んでいると知っている。
私の幸福論は未だ完成しない。
三大幸福論を読んでも私はわからない。私の幸福論はラッセルなんかにわかるわけがない。
椎名林檎の歌う幸福論なんか少しも信じていない。私の幸福論は三分五十四秒で歌い切れる訳ない。

(ボツです。)

最近日本が止まっている気がする

悲しいニュースばかり見る。それもありえないニュースばかり。

誰にも守られないアイドル、学校すら敵になる子供、法にも救われない女性、沢山悲しいニュースを見ては、「未だ私たち人間は道徳的で公正な判断ができないのか」と思う。

小さい頃は、日本が本当に素敵な国だと思っていた。大人を信じていたし、警察はかっこいいと思っていたし、むしろ早く大人になって仕事がしたいと思っていた。
でも今はそんなこと全く思わない。人間一人救わないまま時が進んでいるのが怖い。誰かが泣いたまま日本という国だけが発展していくのが怖い。
そしていつか、自分がそうなるかもしれない。いつか私が国に、社会に、法に、大人に見捨てられるかもしれない。もう見捨てられているかもしれない。

スマートフォンなんてかっこよく見えなくなった。どんなに素敵な夢をプロジェクションマッピングで映し出したって何も楽しく無い。美しく無い国に作られた虚構や電子は何一つとして美しく無いです。
自分が描いた絵が荒んで見える。恋人の顔が怖く見える。バラエティで笑えなくなる。親の態度が気に入らなくなる。

日本はいつからこうなったんですか。私が日本を愛していたあの幼少期から、もう日本は間違えていたのか。よく見えるようになっただけか。
お化粧がつまらなくなった。どんなに私が綺麗になっても日本は汚い。
掃除ももっと嫌いになった。部屋が汚くたってどうでもいい。

どうしたんだろう。私が感傷的になっているだけなのかもしれないけれど、報道されてるニュースは事実だし、今日も誰かが泣いているのは事実だし、明日誰かが殺されるのも事実だから。やっぱり私は生きることに耐えられない。自分に関係がないからってあまり知らんぷりできません。死んだほうがマシだと、安っぽい言葉しか出ないけれど、本当に死んだほうがマシなんだろう。

日本に希望を感じません。日本に時の流れを感じません。日本の好きなところは思いつきません。