apriori_37g

言葉が好き

艶なる宴

蓄音機から、ふつと音が途切れた。木々のどよめきと、湿った窓に気付かされる。
小雨にも目をやらせない程、蓄音機は唄い続けていた。
ドビュッシーのレコードは母のお気に入りで、幼い私がそれを投げた時は酷く怒られた。
でも、今の私なら、このレコードはどうだってできるのだと、私の良心に苔を生やしていた。
どうにだってしてしまえと、真っ二つに折ってやろうとしたことがあった。
しかし、手に力を入れる直前、レコードに反射する私の表情は何故か当惑し、目が泳ぎ、呼吸は浅かった。
いつまでも、このレコードが私を形容している筈だった。ドビュッシーが1890年に作り上げた月の光は、私に恋して作られた一曲だとすら思っていた。
月の光で満ちたこの部屋で、踊ることも、感傷に浸ることもしなかった。
ただ、私達はいずれ一つになるのだとわかっていた。
私が音楽になる訳でもなく、月の光が人間になるわけでもない。
ただ、私たちは漠然とした一つになる。
冷めた紅茶も、純潔の枕も、全て月の光を浴びていた。だから、私は月の光を飲んだし、月の光と一夜を過ごしたと思っていた。
今日こそは、と決意した。
ドビュッシーに情けをかけられる日々は此処で終わらせよう。
私は思い切ってレコードを投げた。
本棚に強く当たって、レコードは弾けた。飾っていた花瓶は床を刺すように落下し、破片が飛び散った。薔薇が床一面に広がって、私を酷く動揺させた。
あんなに強く投げても、レコードは清々しい程、私を見ていた。やはり私を反射している。私の頬にはガラスの切り傷が輝き、目から涙が出ていた。呼吸をしていたのか覚えていない。
やはり母を諦めることはできなかった。今日も私は、母を愛していた。レコードに手を掛けても、壊しきれなかった。
母は月の光さえ反射して、夜を踊っているに違いなかった。遠い母の顔は、月のように曖昧で不完全だった。
窓が少し揺れる。思ったよりも、雨が降っていた。

芸術と社会のはなし

去年のクリスマスイブの夜、ツイッターを見ていたら、「サンタさんが来なかった少年の話」を見た。
簡単に言うと「ずっといい子にしていたのに、家庭環境が悪く、両親はサンタになってくれなくて、プレゼントなんて無かった」みたいな話だったんだけど、私はそれを見た時本当に頭に来た。
救いのない話に、一体何の価値があるのだろうか
ただ、人に暗い感情をもたらすだけの芸術。
何のために貴方は芸術をやってるんですか〜
そもそも芸術っていうのは、一生涯関わらなくても済むようなもので、「学業を評価する上で、美術は大して重要ではないから、学校の美術科目が無くなるのでは」みたいな記事を見たけど、本当に、社会にとっての芸術ってそんなもんなんだと思う。
でも、だからこそ芸術は、社会の光になる必要があるんじゃないかな〜

私が頭に来たその漫画は、しかも一切の救いがなかったんだよね。ただのバッドエンド。しかもハッピーエンドになる気配ゼロ。

人間が芸術を見たり感じた時に、八方塞がりになるような芸術は絶対作りたくない。悲しい気持ちになって、しかもそこから抜け道がないような芸術は絶対作らない。
真っ暗闇だとしても、やっぱり最後は満天の星空の下で幸せになる話しか作らない。闇の先に闇があるような芸術は、一体何を伝えたいのかさっぱりわからない。ポリシーもない。雰囲気でどうにかしてるようなもん。

たしかにネガティブなもの程、人間の目は向くから、共感は沢山集まるかもしれないけど、人間の心には一切残らないよ。
椎名林檎ちゃんが、「丸くないと刺さんないよ」って尖った手口で歌ってた

暗い雰囲気を表現したいなら、そこに落ち着きとか逃げ場が感じられる芸術を作りたいよね。
ほんとにほんとに暗くていいのは、日記だけ

とにかく、芸術なんかで、貴方を絶望させない。私に前向きな芸術を作る時がきたようだ

はじめに

はてなブログ、色んな人の話が聞けるから大好きで、ずっと読んでたんだけど、結局自分が書くことになった。
でも、誰かに読んでもらうと言うよりは、ただ私が10代、20代に考えていたことを残しておきたいだけです。
誰かが見てくれてないと、独り善がりの日記みたいな文章になっちゃうから、ブログにした。

いつも思うんだけど、音楽を作ってる人っていいよねー。限られた時間の中でめいいっぱいの思いを詰め込むわけだから、濃度が高くなるし、それを声に出して伝えられるステージもあるわけだし、さらに数十年経った時、昔の自分の思想が振り返れる訳じゃん。本当にいいコンテンツですよネ〜

それに比べて本は、なんかダラダラと続いてしまうし、そもそも私の思いだけを書いて売れる訳ないし、声に出すステージなんて勿論なくて、むしろ誰かから手に取って貰わなきゃいけないし。さらに数十年経った時、恥ずかしさで死にたくなりそう。でも本が好きなんですネ〜

とにかくとにかく私は恥ずかしがりやで、SNSにどば〜っっと思いを書く根性はあるんだけど、閲覧者人数が増えていくたびに怖くなって、速攻消す。
この思いを消して、消してと繰り返して行ったら、私自身の思いって一体どこに行くんだろ。思いを消すたびに、葬式とかしてないし、成仏していないに決まっている…🥺

死にて〜って思うこと沢山あるんだけど、その声がもし私の思いの叫び声だったらどうしよう。ちゃんと私の思いを消化してあげてなかったせいで、つまり成仏させてなかったせいで、私の腹の底から、「死にて〜」って叫んでたらどうしよう。いっつもこれ考えてる。
本当に死にたいかって聞かれたらやっぱり死にたくないし、これは私の思いの断末魔なのでは…

2019年の目標は恥を晒す事なので、ブログを開設しました。恥ずかし〜!!!!!!!
恥を晒し、恥を知り、くだらないプライドと戦います。🔥